2021年4月15日発行 第226号

リープフロッグ(蛙飛び)

 十数年前、日本の某大学で経済学の講師をしていたことがありました。今もそうらしいのですが、熱心に勉強していたのは中国からの留学生で、卒業後も彼らはよく連絡をくれていました。そんなわけで、在日中国人卒業生の何人かとは今も付き合いがあります。
 先日、そのうちのひとりと鬼岩公園に出かけたところ、たまたま松野湖で釣りをしていた中国人卒業生のグループと再会しました。そこで、彼らから衝撃的な一言をもらいました。「先生、豊かになりたくて日本に来たのに、日本では豊かになれないね。だから、子供はアメリカや中国の大学に行かせました。」と。
大卒初任給について、次のようなデータがあります。スイス73万円、デンマーク53万円、アメリカ48万円、ドイツ43万円、オーストラリア38万円、韓国30万円、日本21万円。このデータの正確性については疑問が残りますし、初任給が平均賃金を表しているわけでもないのですが、一人当たりのGDPなどからも日本の凋落ぶりは明らかです。しかも、恐ろしいことに、多くの日本人はその危機感を抱くことすらなくなっています。
 考えるほどに憂鬱になってくるのですが、野口悠紀雄先生の「リープフロッグ 逆転勝ちの経済学」(文春新書)に、一筋の光を見つけました。それは、日本経済復活のためには、アメリカや中国に追いつく(キャッチアップ)戦略ではなく、一気に逆転する(リープフロッグ)戦略をとるべきだというものです。
 リープフロッグとは、電力網とテレビ地上波が普及していなかったモンゴルで、それらを飛び越えて太陽光発電と衛星放送が普及したというように、従来の発展段階を飛び越えて最新の科学技術や社会制度が一気に広まるというものです。多くの新興国で固定電話の普及を待たずして、携帯電話やスマホが普及したのもその一例です。
 コロナ感染者数をファックスで集計していた我が国は、いろいろな面で後進国なのですが、遅れているということは、リープフロッグのチャンスがあるということです。もっと進んだ、もっと人を幸せにする科学技術や社会制度を、ビジネスモデルとして先進国を飛び越えて普及させれば、トップに返り咲くチャンスがあると思っています。

CPS総合法務事務所
所長 加藤健治

多治見を舞台にしたアニメ!
「やくならマグカップも」(通称「やくも」)

 そろそろ、メンタルヘルスの話題も飽きていらっしゃるかな・・・と思いますので(笑)、今回は、私が応援する多治見を舞台としたアニメ「やくならマグカップも」についてご紹介します。私は、地元多治見が大好きなので、多治見を舞台としたアニメが全国放送する、という話を聞いてとても嬉しくなりました!  
 このアニメの元となったのは、ご存じの方も多いと思いますが、フリーペーパーによる漫画。これを約10年間作り続けて下さったのは、株式会社プラネットさんです。
 多治見市出身で日本アニメーションに入社した方がアニメ化する企画に提案したのがきっかけで今回10年越しにアニメ化が決定したとのこと。提案した方は、関西の大学に行っているときに、そこに置いてあるフリーペーパーで「やくも」のことを知って、読み続けていて、提案に至ったとのことなので、本当に10年間赤字でフリーペーパーを出し続け、関西方面にも送っていたプラネットさんには感謝しています。
 4月2日の夜中から毎週CBCで放送され、15分間はアニメ放送、15分間は多治見の町を声優さん達が実際に訪れて、紹介してくれています。放送直後からこれを見て多治見に来て下さる方がいて、おりべストリートの「やくも」のキャラと一緒に写真を撮られていたりしたそうです(オンエアー情報は、こちらです→https://yakumo-project.com/onair/)
 多治見のまちの活性化に繋がったらいいな、と思っています。個人的には、主人公の姫乃ちゃんパパが経営するようなカフェが出来たらいいなあ~めっちゃ流行りそうだな、と勝手に妄想しました。
 プラネットの会長さんが言っていた言葉が素敵だったのでご紹介します。
 「夢を持ち続けたら必ずかなう。夢は希望であり生きる原動力」
 「続けることで絶景が見える」
 まだまだアニメも続きますので、ご覧戴けたら嬉しいです。なじみの場所も出てきますので、地元の方は親近感がわきますよ!

岐阜県多治見市大日町21 大日ビル3号
多治見ききょう法律事務所 弁護士 木下貴子

方丈記

 仕事で京都へ行ったついでに、少し時間があったので観光したいと思ったのですが、今はコロナ禍で、しかも他県の人間だし、どこか三密を避けたところはないかと、ネット検索したところ、いいところがありました。方丈庵跡地です。今から800年程前に鴨長明さんが出家して山にこもり、庵(いおり)を建ててそこで執筆した場所です。
 ここで完成されたとする方丈記は、清少納言の枕草子と吉田兼好の徒然草と共に日本の三大随筆とされているそうです。
 皆様も一度は耳にしたことがあるかと思いますが、高校の古文でやりましたよね。
 方丈庵跡地は伏見区日野の山奥にあり、山中を登ると跡地には、ひっそりと石碑が二つ並んでいます。早速ここで方丈記の冒頭「ゆく河の流れは絶えずして~」とやってみました。(途中で人が来たのでやめましたけど)
 鴨長明さんが方丈記を書いた時代も、都に災厄が続いていた訳で、今まさに私たちもコロナ禍でこの頃と同じ様に塞ぎ込んでいる状態が続いています。
 結婚式やお葬式、患者さんの面会、旅行、出産の立会等々、今まで当たり前のように出来ていた幸せが、当たり前ではなくなっている時代です。
 この方丈記は、私たちに未来への希望や勇気を与えてくれるエッセイではありませんが、違う角度から見た災害文学の無常を表現しているのではないでしょうか。
 紙面に限りがありますので、この続きは次回という事で。

土地家屋調査士 奥村忠士

誰に対してでもない礼

 先日のゴルフ「マスターズ・トーナメント」での松山選手の快挙と共に、早藤キャディがコースに一礼をした、その動作が話題となりました。
 このような行為は、日本のいわゆる「体育会」に本気で取り組んできた人間ならば自然と体から出る行為かと思います。箱根駅伝で走り終えたコースに対して振り向いて一礼する選手も珍しくありません。
 そしてそれは選手たちだけの話ではありません。選手と共に存在できるすべての人たちに共通する話です。私が卒業した早稲田大学応援部では、1年生のときに神宮球場に出入りする際には「失礼します」と言って頭を下げてから入退出するよう、教えられます。はじめは、そこに上級生が座っているため「上下関係の礼儀」だと思って覚えます(応援部では先輩の前を通るときには「失礼します」)。それがいつしか、最高学年となってその場に先輩がいなくなっても、神宮球場に入る際も出る際も「失礼します」と言って頭を下げる自分になっているのです。4年生の秋、最後の神宮球場では、振り返って「ありがとうございました」と言って頭を下げて球場を後にしました。選手たちが本気で戦う神聖な、そして多くの人たちが守ってきてくれた歴史ある「その場」に対する敬意です。「その場」が存在し続けていること、そして自分が「その場」に存在させてもらえることは、自分の努力や意思だけでできることではなく、見えない多くの人の誠意や努力のうえで成り立っていることです。
 「誰に」ということもなく「その場」に対する感謝をし、それが「礼」という形で現れる。このような動作が海外でも注目されることは喜ばしいですね。
 ちなみに私は、1日の料金で他の方の2日分(クラブを振って)楽しめるコストパフォーマンスの良いゴルファーなので、「マスターズの話をするくらいゴルフが好きなのだろう。さぞかし上手いのだろう」とは思わないでくださいね。

エール行政書士事務所 行政書士 鈴木亜紀子
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