2025年12月15日発行 第275号

事務所移転
  多治見市大日町に司法書士事務所を開業したのは、1990年6月のことでした。当時は、銀行や信用金庫などの金融機関をメインの顧客としていました。金融機関から仕事の依頼が入ると、宅配ピザに負けないくらいのスピード対応をしていましたので、繁華街に近い大日町は便利な場所でありました。
 しかし、だんだん業務の形態も変わってきました。今は、個人のお客様の財産の管理、承継に関わる仕事が中心となってきて、お客様に事務所までお越しいただく機会が増えてきました。
 ここで、問題となってきたのが、事務所の場所でした。大日町は道が狭いうえに、一方通行が多くて、少々面倒な場所にありました。また、急な階段を上がった2階に事務所があるため、時々お客様からお叱りを受けていました。
 そんなわけで、事務所の移転を10年以上も前から考えていました。しかし、どうせ移るならベストな場所で、素敵な事務所を作りたい。この強いこだわりのせいで、事務所移転は延び延びになっていたわけです。
 ところが、3か月ほど前、ネット上でおもしろい物件を見つけて、すぐに売買契約をしました。市役所出張所、郵便局、信用金庫、ドラッグストアまで徒歩1~2分の好立地で、わかりやすい場所にあります。加えて自宅からも車で3分ほどの所です。
 先日、新事務所に机を運び入れました。その机に向かうと、今までになかった発想が浮かんでくる気がしてきました。おもしろい仕事ができそうで、わくわくしています。

(移転先)多治見市滝呂町十丁目43番地の6
電話、FAX番号に変更はありません。

 年内に引越しを完了して、新年より新事務所にて業務を行います。おいしいコーヒーも準備しております。お近くにお越しの折には、ぜひお立ち寄りください。
CPS総合法務事務所 司法書士 加藤健治
弁護士の交渉術 4
 今回も引き続き「弁護士の交渉術」について,お話します。確かに弁護士は交渉が上手い,とも言えるのですが,一方で誤解されているかな,と思うこともあります。そんな中で,弁護士である私が思う「交渉」が得意な弁護士とは?をお話します♪
 2 交渉に有利?「感情」を動かせる弁護士の見分け方
 前回,裁判所外での交渉は単に「論破」する能力が高ければ良いわけではなく,相手の感情を動かせる能力が必要,というお話をしました。それでは,感情も動かせる弁護士は,どのように見分けたらいいのでしょうか?私は,弁護士と話したときの「ご自身の感覚」を大切にするといいと思います。その弁護士と話をしたら,理解してもらえたと感じて,少しでも安心できたのか?この弁護士の話なら信頼できそう,と思えたのか?もし,あなたの感情が「良い方向」に動いたならば,その弁護士は,である可能性が高いと思います。なぜなら,「言葉」と「態度」であなたの気持ちを良い方向に動かしたのですから。一方で,その弁護士と話をして,なんとなくあなたが責められているような辛い気持ちになったとしたら・・いくら弁護士経験が長く,態度もどっしりしていて,論理的に話していたとしても,相手方の心を動かすのは難しい,交渉力もあまり高くないことも多いかも,と思います。弁護士が,あなたにとっては「頼りがいがある」と心を動かされる場合であっても,注意が必要なケースもあると思います。それは,あなたを全面的に肯定し,「相手方を一方的に非難する」場合です。この場合,弁護士に必要な法的なバランス感覚,当事者ご本人とは違う客観的な視点で,「社会的な正しさ」を判断する,という基礎的な部分に問題があるかも知れないからです。本当に人の心を動かせる人,というのは,話す相手に応じ,その方の価値観,考え方を察知し,柔軟に「話し方」を変えられる方だと思います。弁護士と話してみて,あなた自身の心が動いたかどうか,とともに,この弁護士の「話し方」ならば,相手方の気持ちしっかりともつかみ,心も動かせそうかどうか?という視点をもって見てみるといいと思います。次回に続きます!!
岐阜県多治見市大日町21 大日ビル3号
多治見ききょう法律事務所 弁護士 木下貴子(岐阜県弁護士会)
映画の紹介「ひゃくえむ」
  月刊CPSで映画を紹介するのは、今回が初めてです。普段はあまり映画館に足を運びませんが、今回は友達に勧められ、劇場アニメ『ひゃくえむ』を鑑賞してきました。
 「ひゃくえむ」とは、その名の通り100メートル走のことです。アニメで、しかも題材が100メートル走と聞けば、子ども向けのスポーツ作品を想像する方もいるかもしれませんが、本作はまったく違います。わずか10秒足らずの競技に人生を懸けるランナーたちを通して、「人は何のために生き、何のために走るのか」を哲学的に描いた作品です。
 映画のシーンで「明日生きるために死んでいました。」という趣旨の場面があります。
 皆様も経験があると思いますが、若い頃、目標のために日常を犠牲にしたこと、ありますよね?甲子園を目指して厳しい寮生活と過酷な練習に耐えた日々、有名大学を目指し、遊びを捨てて勉強に没頭した時間などなど。それらはすべて「明日」のために「今日」を削ってきた選択だと思います。
 現在の私自身も、必死に仕事に向き合って、責任や課題に追われながら、がむしゃらに前へ進む日々です。自分は今、何のために生きているのか、明日のために今日を犠牲にしてはいないか、と考えさせられました。
 日々起こるトラブルや難題を、必要以上に深刻に受け止め、失敗を恐れて挑戦を避け、世間の目ばかりを気にして、次の一歩を踏み出せずにいます。そんな自分の姿に重なったのが在津選手の講演会でのセリフでした。
 「浅く考えろ。世の中なめろ。保身に走るな。勝っても攻めろ。」この言葉は刺さりました。
 これ以上はネタバレになりますので、是非映画館で観てください。原作の漫画もありますよ
土地家屋調査士 奥村忠士
15歳で家を出た娘のこと
  この春15歳で家を出た娘。それ以来、妙に「私なんて・・・」と口にするようになりました。以前はそれほどでもなかったのに。
 最初は、進学や就職の時期によくある「これまで自分はできると思っていたのに、周囲が優秀で急に自信をなくす」というパターンを疑いましたが、どうやら違うようです。もともと勉強に強い自信があったわけでもなく、進学先でも成績は中くらい。気ままな二人暮らしに比べれば寮生活に不便はあるでしょうが、寮の愚痴はあまり聞かないので、寮生活が原因とも思えません。
 帰省から寮に戻る娘を駅まで送った際、娘が「一緒にいたいよー」と泣いたことがありました。もしかすると、毎日私のいる自宅に帰り、私と接することが娘の心にとって何らかの意味を持っていたのかもしれません。私は家にいる時間が少なく、世のお母さんが当たり前にしていることもできず、自分を母親としては至らない人間だと思っていました。それでも娘に何かができていたのかもしれません。もともと娘のことは、18歳で家を出すつもりで育てていたので手放すことに何ら抵抗はありませんでしたが、15歳というのは、親元を離れるにはまだ幼かったのかもしれません。
 とはいえ、もう家を出してしまいましたし、娘にとっても私にとっても親元を離れての進学は「自分で決めたこと」。どうにかならないものかとここ数カ月胸を痛めていました。
 ところが最近、ようやく娘が落ち着いてきました。どうやら、部活の先輩と遊んだり話したりしたことで気持ちを持ち直したようです。ありがたいことです。もちろん、この精神状態がずっと続くとは限らず、また落ち込むこともあるでしょう。それでも、娘が周囲に頼れたこと、周囲の人が娘を支えてくれていることが嬉しいです。私はもう娘の傍にはいません。私が娘に対してできることは少ないです。だからこそ、今娘の周りにいてくれる人たちの存在、本当にありがたいのです。
エール行政書士事務所 行政書士 鈴木亜紀子

発行者
岐阜県多治見市大日町86番地
CPS総合法務事務所
株式会社CPS総研
東濃相続サポートセンター
TEL 0572-25-4102